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ななのこと、記録に残したいと思いつつ
書こうとすると、気持ちがどうしようもなくなってしまうので
思ったことを少しずつ。

後悔はたくさんあるけれど
結構大きな割合を占めていたのが、最後にかかっていた病院が
かかりつけではなかった、ということ。

かかりつけの病院は、とらじが来たときからだから
もう12年以上も診てもらっている。

その獣医さんに診てもらって、それでもダメなものなら仕方がないと思っている。


ななの具合が悪くなったのが、ちょうど病院の休診日。

翌日まで待とうかとも思ったが、もしひどくなったら…と思い
以前、まろんを救急で診てもらった病院へ連れて行った。

処置をしてもらってすぐ帰れるものだと思っていたら
肺に影があり、呼吸が浅くて苦しそう、と酸素室に入院になってしまった。

その後、無事退院できたが、通院は続いた。

途中何度か、かかりつけ医のところへ行き (ななは連れて行かず私だけね)
治療途中でも転院したほうがいいか
ひとまず落ち着くまでそのまま通院したほうがいいのか相談し、考えた。

そして、胸水の検査結果が出たら、それを持って転院すると決めた矢先
結果が出る前に急変し、あっという間に旅立ってしまった。


救急でかかって、そのまま診てもらっていた先生のことは感謝している。

家族もこれが最善の方法だったと言っている。

でも、やっぱり私は、かかりつけの獣医さんに診てもらえばよかったという気持ちが
心の真ん中にあった。

何度も転院するチャンスはあったのに、なぜそうしなかったのか。

転院していたら、まだななは生きていたのではないか、と。

最初は、いなくなってしまった悲しみよりも
私の選択が間違っていたのではないかという後悔が大きく、自分を責めてばかりの毎日だった。


その後、とらじのことでかかりつけの病院へ行ったとき
少し時間があり、獣医さんとその後悔の話をした。

すると獣医さんは
「私は、ななちゃんが私に最期の姿を見せたくなかったんじゃないかと思ってます。
だから、私にはななちゃんはマルマルとした可愛らしい姿のまま、残っていますよ」と。

なんだかね、泣けてしかたなかったデス。

それからは自分を責める気持ちが少しずつ減っていったのと同時に
会えない悲しさが大きくなっていった。

やっと素直に悲しむことができるようになった気がした。
それでも苦しくてしかたがなかったけど。

そして今、もう私は大丈夫、とはまだ全然言えない状態だけど
またいつか会えるまで、しっかり生きていかなくちゃいけないなと思っている。

でもななは私じゃなくて、大好きだった長男を待ってる気がするけどね…。

2008年のなな 
171004
お気に入りのキャットタワーのてっぺんで、お昼寝したり見下ろしたりしてた頃

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